こんにちは✨
鬱病歴がもう4年になってしまった なつみかん です(#^^#)
先日、X(旧Twitter)で、ちょっと考え込んでしまったポストがありました。
”「死なない」って言うのは簡単なんよ」”というコメントと、「#うつ病」「#躁うつ病」「#双極性障害」等のハッシュタグとともに載せられた2コマ漫画。
1コマ目:
「死にたいっていうとみんな死なないでっていう」
「死んだら悲しむ人がいるよ」「生きてればいいことあるよ」
「両親が悲しむよ」「まだ若いからこれからだよ」
2コマ目:
「じゃあ、
私の生に
責任を
もてますか?」
文字だけの2コマ目はなかなかにインパクトがありました。
賛否両論あると思いますが、今日はモヤモヤした気持ちを吐き出させてください。
私の思い
「死なないで」は無責任?
私はこのポストを目にした時、真っ先に「死にたいと言われた側」の気持ちを考えてしまいました。
「死にたい」という言葉は、ネット上であれ、親しい仲であれ、言われた方にとっては重い言葉です。なんと声をかけてよいのかと悩んでしまうでしょう。
それでも言葉を返してくれた。困惑しながらも必死に相手を思い、「あなたは必要な人間だよ」「治る病気だから」というメッセージを込めて言ってくれたかもしれません。
なのにこのポストでは、「死なないで」は「簡単に」言った言葉と決めつけ、それを言う人は「無責任」と非難しているように感じます。
その人なりに真剣に向き合い言葉をかけたのに、その言葉じゃダメ・傷つく・無責任などと非難されては、相手にしてみればたまったものではありません。それこそ、相手の気持ちを否定しているようなものです。
そもそも、死にたいという気持ちが病気からくるものであれば、病気が回復すればなくなります。病気による一過性の「死にたい」ならば、それを肯定することこそ間違いだと判断するのは普通のことだと思います。
では、どう答えるのが正解なのか。このポストの中では一切言及されていません。
自分からは何も説明せず、周囲に一方的に文句を言ったところで、言われた方はどうすればよいか分りません。自分なりに真摯に対応したつもりが、一方的に責任を押し付けるような物言いをされるのは正直不快でしかありません。理解しようと思っていても、その気力も失ってしまいます。
たとえ傷ついてしまったのだとしても、自分の言葉に耳を傾けてくれた相手の言葉を相手の気持ちごと否定するなんて…
あまりにも自己中心的で自分勝手です。
「死にたい気持ちを肯定する」とは
「死にたい」という気持ちを肯定するのは、一般人には難しいことです。
気持ちを肯定して、実行してしまったら?相手はとても後悔するし、一生背負うことになるかもしれません。そうしたら、自分は相手の人生に責任を持てるのでしょうか?
同様に、生死にかかわる重大な思いを吐露されて、放っておくというもの難しい。自分に向けて言われたのなら尚更です。
よくよく調べれば、このような記事もありますが…
この記事によれば、「死にたい」と言われた時の対応として、以下のようなことが望ましいとされています。
- 今死にたいほどつらくて、このつらさを終わらせたいんだという相手の気持ちに寄り添う→まずはただ話を聞いてあげる。
- できる限り、そばにいてあげる。
- 物理的には難しい場合は、精神的なつながりを持ってあげる→相手と次に会う約束をする。
※無理に言葉を掛けなくてよい。
※悩みを解決しようと、アドバイスをする必要はない。
正直これは、かなりの時間を相手に費やさなければならないですし、精神的な負担が大きいと思います。
一般人にそこまでの理解を求めるのは難しい。そのような要求できるのは、担当医師やカウンセラー、支援に携わる人、そして自分のごく身近な人までではないかと思います。
専門家でもない人が、最初から精神疾患の複雑な心に寄り添う術を持っているわけがありません。相手に何かを求めるならば、自分から説明やお願いをするべきだと、私は考えます。
理解されたければ説明を
私自身鬱病を患っており、症状が重い時期には、つらい気持ちを抱えきれなくなることも数えきれないほどありました。つらい気持ちを吐き出したとき、相手にかけられた言葉に傷ついたり、追い込まれることも、確かにたくさんありました。
けれども、それで相手を恨んだことはありません。
その人に理解してもらいたければ説明する。解ってもらえなければそういうものと諦める。それだけです。
そもそも自分だって、発症して初めて鬱病を知ったのです。専門家でもない周囲の健康な人間が、精神科医並みの正しい対応など最初から出来るわけがないのです。
だからこそ、拙くとも、理解されないのが怖くても、自分で説明し、理解をお願いするのです。
自衛も必要
急性期のつらさは痛いほどよくわかります。
うずくまって耐えるしかなく、周囲に配慮する余裕など持てない状況であることも。
けれど、それでも自衛する術を身につけることも絶対に必要なのです。
具体的には、以下のように考え方や受け取り方を変えること。そして、悪意のある相手には意図的に接触しないようにすることです。
- ”追い詰められてしまう言葉だが、自分を思いやって言ってくれている”のならば、その気持ちだけを受け取る。
- 本当に理解してほしい人を限定し、説明する。
- ”理解不足のアドバイス”は受け流す
- ”悪意のある非難”ならば、受け取らない。
- 自分を傷つけるであろう人間とは距離を置く
特に不特定多数の相手に発信する場合、
まず、受け取った相手が全員「病気をよく理解し、正しい対応ができる」可能性は限りなくゼロに近いです。これは当然のことですよね?
ハッシュタグやフォロワー等を選んでいれば、同じ経験をした方やその家族、関連職業の方から声をかけて頂けることもありますが、全体から見れば少数でしょう。
また、経験者やその周囲の人が知識や経験に基づいてかけてくれた言葉も、必ずしも”その時の自分”にとって良い返事であるとは限りません。
状態(急性期/回復期、体調の良しあし)によって、例えば「散歩が良いらしいよ」という言葉でも受け取り方が変わってきます。
経験のない人ならなおのこと。心から心配してかけた言葉であっても「その時の自分にとっては」追い詰められる言葉になってしまったというケースも多いと思います。
そういう場合は、「心配してくれた」「自分のために時間を使ってくれた」ということだけ受け止めましょう。「どんな思いで書いて(言って)くれたのかな」「きっと、気を遣って言葉を選んで、何度も書き直してくれたんだろうな」と想像することで、幸せな気持ちになれると思います。
そして、家族など本当に身近な相手にだけ、「自分はこういう風に対応してほしい」と説明し、理解してもらえばよいと思います。
次に、理解不足のアドバイスについてですが、
そもそも鬱病等の精神疾患は、症状が見た目で認識できない為「誤解されやすい病気」です。発熱や骨折など、目に見える症状があれば理解されやすいですが…。
その上、人前では過剰に元気に振舞うため、周囲には見た目にはなかなか「何がどう悪いのか、どういう病気なのか」解らず、「本当に病気なの?」と疑問を持たれてしまいます。その結果、「甘えなのではないか」「気の持ちよう」と思われてしまうことも。
そして、ネット等で得たうわべの知識で「朝散歩したらいいらしいよ」等と急性期には到底できないことを「良かれと思って」アドバイスしたり、(精神疾患の経験がない/全く別の精神疾患)自身の経験をもとに「私も似たような状態になったことあったけど、気力で乗り切ったよ」等と言ってしまう。これはとっても厄介です。
精神疾患を患った当事者(患者)が「自分は怠け者なのではないか」「意志が弱いだけではないか」と悩んでいますから、反論も出来ず、ただただ追い詰められてしまいます。
理解を求めたいところですが、症状を実際に目の当たりにしないと、言葉だけではなかなか深くは理解できません。当事者だって、長い期間をかけて理解していくのですから、全くの他人に理解を求めるのは難しくて当然です。この点については、ある程度割り切ることも必要かと思います。
病気のせいで余計に真に受けてしまい、深く傷ついてしまうのはよく解ります。出来ることなら周囲に理解してほしいですよね。
しかし、状況を深く知りもせずに一方的に悪気のないアドバイスをしてしまう「マナーの悪い人」は、残念ながらどこの世界にも一定数存在します。不要なアドバイスは受け流して自衛する、また受け流せるように意識を変えることも、再発防止のための治療の一環だと思います。
ただし、
家族や、勤怠について話さなければならない上司に理解されない…職場などでどうしても関わらなければならない人に一方的に言われてしまう…など、頻繁かつ避けられない状況で苦しんでいる場合には、医師から直接説明してもらう・精神疾患について説明されたパンフレット等を見てもらう、上司から説明してもらうなどしても良いと思います。
最後に、「悪意のある非難」について。
精神疾患の患者がいれば、その方と関わる人がそれ以上にいます。
実際に精神疾患の方と関わった結果、嫌な思いをした方も少なからずいるでしょう。
攻撃された、依存された、嘘を吹聴された、相談に乗ったのに何も解決しなかった…などの経験から、精神疾患について悪い印象を持っている人も、残念ながらたくさんいらっしゃると思います。
そういった「精神疾患に対して悪印象を持っている人」によって、悪意のこもった攻撃を受けてしまうことも、残念ながらないとは言いきれません。
ただでさえ自分を責めて悩んでいるときに悪意ある言葉を投げ掛けられてしまったら、かなり大きなダメージを受けてしまいます。「あなたと同じ病気の人がいたけど...」等と言われてしまえばなおさら。
けれど、悪意ある意見は「受け取らなくていい」のです。第一に優先すべきは「回復すること」ですから、回復を妨げるものは一旦排除しましょう。自分を見つめ直すのは、物事を客観的にみて思考する事ができるようになってからでないと意味がありません。少なくとも急性期を過ぎてからでよいのです。
世の中には、色んな価値観の方がいます。鬱病で、何事も悪い方に捉えがちで傷つきやすくなっている時は、悪意のない普通の意見にも追い詰められてしまいがちです。
鬱病は脳の病気で、正常時のような思考ができなくなっています。その事を自覚し、関わる人や思いを吐露する相手を選んだり、回復の妨げになる言葉は受け取らないようにするなど自衛することも大切なことだと思います。
投稿者の思い
このポストについて、「求めすぎではないか?」という旨の引用ポストをしたところ、投稿者から返信がありました。
言い分としては以下。
- ”病人側”からすると「死なないで」の言葉は重い
- 生きてこれ以上頑張らなければならないのかと”脳が消耗する”
- 結果、”脳が希死念慮を起こす”
- 話聞くよ、と寄り添って欲しい
これに対し、私は「人によっては話聞くよも”今話ができる状態じゃない”と苦しむ人がいるかも?死なないでNGは投稿者個人の問題であり、その言葉自体を否定するのは違うのでは」という旨返信しました。
投稿者からは
- 死なないでと言って死ななかったデータでもあるのか
- 実際に自殺者は増えている
- 自分の投稿には共感・反響が大多数だ
との回答。
私は「死なないでと言って死ななかったデータはない」ことを伝えたうえで、「死なないでと言って死んだ或いは悪化したデータがあるのか?」と尋ねました。
私の場合は「死なないで」と言われて救われましたが、実際にそれを言われて悪化する人が多いならば、この言葉に関する注意喚起は必要だと思ったからです。
加えて、自身も鬱病患者であること、死にたいと言えば相手を困らせること、それ故にいう頻度も相手も選んでいること、相手の気持ちを考えるのは当然のことだという旨返信しました。
すると…
投稿者からは「結局何が言いたいのか」「投稿者の考えが間違っているとでも?」「思い方はそれぞれだろう」との回答。
データについての言及はありませんでした。
随分回りくどい言い方をしてしまったので、伝わらなかったようです。
- 相手にデータを求めるのに、自分が求められたら無視する態度
- ”反響がある=正しい”理論。すでに反響が出ている状態。
が見られたので、私はここで会話をやめました。
賛同者の思い
投稿者が言うように、このポストに賛同・共感する声もありました。
共通して、「死なないで」と言う人に悪感情を抱いているようです。
→これらは、「生きろという割に助けてくれない」「私の死を否定するからには、私が生きやすいようにしてくれ。私の人生に責任を持ってくれ」「責任を持って具体的な支援をしてくれ」という言い分ですよね。で、実際に助けてくれないから「死なないで」という言葉を軽いと感じ、「無責任」「他人事」というのではないでしょうか。
正直「知らんがな」です。他人が助けてくれないのは当たり前です。「困っていたら助けてもらって当たり前」ではありません。
まして人生に責任を持てなど…要求が高すぎるし、一方的すぎると思います。
→これは投稿者と同じく「気持ちに寄り添って欲しい」「つらい気持ちを分かってほしい」「自分を肯定してほしい」という要求の現れですね。
気持ちを受け止めてほしい・寄り添って欲しいならそれを伝えるべきです。確かに、苦しいときは説明するのもしんどいですが、だからといって「察してほしい」は我儘です。
ポストの目的
そもそも、このポストの目的は何でしょうか。
「死なないで」と言う人を非難するのが目的でしょうか。
鬱病や双極性障害の人への理解をお願いしたいのでしょうか。
それとも、鬱病や双極性障害に対する理解の浅さから、無自覚に傷つけてしまう一般人への警鐘でしょうか。
私は、最初に述べたように「死なないでって言うのは”簡単なんよ”」「責任をもてますか」等の言葉から、「死なないで」という人を非難するのが主な目的と感じました。
また、やり取りの中で投稿者は、”同じ病気の人に「あるある」と共感しあえたらなと思って書いています”ともおっしゃっていました。この言葉から、「理解」ではなく「非難したい気持ちへの共感」を求めていると考えます。
非難したならば、非難された側の人間から批判されても仕方ありません。
自身も鬱病で、通常であれば励ましである言葉やアドバイスにひどく傷ついてしまったり、かえって追い詰められてしまうこともありました。けれど、そのような言葉をかけた側を恨んだことはありません。先にも述べたように、その人に理解してもらいたければ説明する。解ってもらえなければそういうものと諦める。それだけです。
確かにこのポストは、同じ境遇で同じように感じてしまう方にとっては「自分だけじゃなかった」という救いになっているようです。
しかしその一方で、「死なないで」と言った経験のある人もいるでしょうし、その中には、この投稿で傷ついた人もいるでしょう。
「多くの人が共感する」=「正しい」ではありません。
「その病気の人はそう考える傾向がある」が、「直すべき」思考かもしれないのです。
いずれにせよ、このポストは理解をお願いするものではなく、「非難」もしくは「公開悪口」という側面が大きいと感じます。
このような、非難するような書き方のせいで、同じ病気の方が自己中、わがまま、自分勝手、一方的に依存してくる、めんどくさいと思われたら…同じ鬱病患者としては、正直迷惑です。
辛いことや訴えたいことはあれど、発信の仕方には気を付けべきだと改めて感じました。
おわりに…鬱病患者として
結局、今回のポストと投稿者からの返信からは、「私は寄り添って深く話を聞いて欲しいのにor具体的な支援をして欲しいのに、“死なないで”って言葉だけ返して終わらせるのは無責任だ!」という思いしか汲み取れませんでした。
乱暴な言い方をすれば「私のために時間を使え」「黙って話を聞け」「耳障りのいいことだけ言え」「実際に助けろ」ということですよね。
正直、このようなワガママを公然と主張するのは、同じ鬱病患者としてとても恥ずかしいと思いました。
どうしてほしいのかの説明もお願いもなく、「自分にとって最適な対応をしない人達」への「公開悪口」をいう。さらに返信の中で「経験した人にしか解らない」と言い合う。
未経験者には結局どうすればよいのかも解らず、理解しようという気力すら削いでしまいます。
結果、理解は遠退き、ますます最適な対応はしてもらえなくなってしまいます。
単に悪口を言いたいだけならそれでも良いのかもしれませんが、投稿者も賛同者も病気への理解も求めているようでした。
ならば、悪口や「どうせ理解できない」等と言うべきではないですよね。
理解が広がればいいと私も思いますが、
求め方を間違えたり、求めすぎてしまえば、かえって理解や支援の手は遠のくでしょう。
健常者にも精神障害者にも負担にならない範囲で、互いに理解し合い支え合えたら...そう強く感じたポストでした。
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随分長くなってしまいました💦
ここまでお付き合いいただきありがとうございます(#^^#)
少なくともXを見る限りでは、このポストの賛同者が圧倒的に多い印象でした。
私のような意見はごく少数なのでしょうね。
でも、もしかしたら「精神疾患はデリケートだから」、「自分は経験したことがないから」…と反論できない人もいるかもしれません。
私だって、自分とは違う精神疾患の方のことは全くわかりませんので、疑問に思っても口をつぐむことが多いです。
今回は、同じ精神疾患の立場から意見を述べてみました。
色々なご意見があると思います。
反論などありましたら、ご遠慮なくコメントしてください(#^^#)
ではでは
今日もありがとうございました✨